第8回 ハナムラチカヒロ氏 + 飯島ツトム氏 社会を変えるまなざしの力(3)

脱構築

ハナムラ

 なるほど。大きなテーマですね。

 20世紀を貫いた脱構築という思想を語ることは僕には荷が重すぎると思うのですが、先ほどの話を受けると、あるコミュニティの中で共有されているものの見方を相対化してきたのは、古来より旅人などの、外なる人であったと思うんです。あるいは王様の横にいる道化や村はずれに住む賢者もそういう役割を担っていたのとだと思います。

 

 王様は、本来は世をきちっと治めて、民が幸せに生きているかどうか見ていないといけないんですが、権力を手にする内に皆の幸せを考えなくてはいけないという役割を忘れて、我欲に走るような精神性に陥ってしまうことがあります。

大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所・准教授

アーティスト/ランドスケープデザイナー/クリエイティブシェア提唱者/役者

ハナムラチカヒロ氏

 

 


 だから時々、そういう権力や世の構造を相対化し指摘していく役割が必要なわけですが、期せずして先ほど挙げたような外なる人々がその役割を担っていたのではないかと思います。そして現代におけるアーティストが果たす役割の一つにそういうものがあるのではないかと考えています。

 

 つまり、世の中をある意味で外側から眺めて、物を言う役割をもつ人間が必要なわけです。

 

今価値だと信じられているものを一度疑い、時には壊してみせたり、価値が無いと思われているものを再度読み直して、新しい価値を再構築する役割が必要で、僕自身もそれを果たして行きたいと考えているのですが、ひょっとするとそれが「脱構築」的なものの考え方なのかもしれません。

 

 僕はそれを「風景異化」という考え方で自分の表現活動や研究活動を通じて取り組んでいます。

 

ハナムラ

 「風景異化」を簡単に説明すると、皆さんもおそらく経験されたことがあると思うのですが、目の前に見えている風景があるきっかけによって違った風景に見える時というのがあります。それを意図的にしかけていくのが僕の取り組んでいる「風景異化」という概念です。


 つまり、目の前に見えている風景というのは、ひとつの物事の捉えかたにすぎないわけで、見方を変えればその捉え方には色んなバリエーションがある。つまりたくさんの風景の見方があるということです。その中から次に僕たちが共有し、信じていける価値を見つけて行くというのが「風景異化」が果たすべき役割かなと考えています。それはアーティストがしていることの一部なのではないかということで最近ではアーティスト活動もしています。

 

 我々が現実だと認識していることは、実は我々が所属する社会によって構成されているという立場を取る「社会構成主義」という考え方があります。

 

 例えば我々が信じている科学による世界の認識。これも社会的に構成されたもので、例えば当たり前に共有して信じている「空気は酸素と窒素から成り立っている」なんていうことも、実はある社会において共有されている約束事やルールに過ぎない。これが全然ちがう社会体系や価値観の体系では例えば「気の流れ」というような別の認識のされ方があるわけです。

 

 どちらが正しいかではなく、どういうルールや知識や認識が共有されたコミュニティの中に居るのかということで現実の意味が異なるように、実は風景も社会的に構成されているというのが僕の考えです。それを時々撹乱させるのが僕のような役目なのだと考えています。

 

 先ほどおっしゃっていた「技術が悟る」という話とひっかけますと、技術だけが走っていっても、そのことにどういう意味付けがなされるのかということがなければ、それは社会や我々の幸せに結びついていかないのだと思います。

 

 その観点では僕がしていることは 「意味を与えなおす」ということかもしれません。

 

意味を与えるといえば、私は映像でしか見ていないのですが、大阪市立病院でのインスタレーション「霧はれて光きたる春 Shining Spring after Clearing Fog」は、本当に素晴らしいですね。

 

「霧はれて光きたる春 Shining Spring after Clearing Fog

(会場:大阪市立大学医学部 附属病院)

2012.03

 

ハナムラ

 病院という場所の意味を再度問い直したかったのがこの作品の狙いです。病院というのは生死に関わる最も厳しい公共空間で、ましてや芸術のようなことは一番必要ないと考えられがちな場所です。

 

 しかし、身体に問題を抱えて病院にやってくる人というのは、当然通常の状態よりも心にも問題を抱えやすいはずで、そういう局面において芸術が果たせる役割があるのではないかと考えています。むしろある意味では美術館以上に芸術という心を巡った様々な表現が必要なのではないかと思うこともあります。

 

 この作品は入院病棟の吹き抜け空間に圧倒的なボリュームの霧とシャボン玉を発生させて風景異化をはかったのですが、僕がこの作品で本当に考えたかったのは、ある奇跡的な風景に向き合うことで医師や看護師や患者や職員という分けられた役割が解体されていかないだろうかということです。

 

 こうした院内の役割は治療という目的に向かってもちろん必要なことですが、しかしそうした役割の認識があるために個人対個人という心のコミュニケーションが難しくなっていることもあるのではないかと考えています。そうした無意識に出来ている認識に対して合理的な方法で迫ることは難しく、芸術や非日常な風景というものが、非合理な方法で時にそれを可能にすることがあります

 

 職業や立場や年齢や性別等の違いを越えて全員が一同に介して不思議な風景を共有することで、院内の人々の関係をフラットにし、病院でのコミュニケーションや意味を組み替えて行くという問いがそこに持たせられれば良いのではないかと考えています。

 

 こうした芸術行為が今はまだまだ院内に必要だという認識はありませんが、活動を続けていき多くの人が理解していく中で、将来的にこれが医療環境の向上につながり、「医療」の一環として捉えられるような認識になれば、そこでの旅人の役割は終了です。

 

 

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